自由であるべきは心のみにあらず

Posted by Anna(旧:Noa) On 2015年6月20日土曜日 0 コメント


『 自由であるべきは心のみにあらず!! 人間はその指先一本、髪の毛一本にいたるまで、すべて神の下に平等であり、自由であるべきなのだ 』

これは池田理代子の「ベルサイユのばら」の中にかかれた有名な台詞ですが。
去年の年末、池田理代子氏自身がこの台詞について語っている番組を見ました。

女性が自分の人生を自由に生きられず、また学生運動に揺れた世相を生きてきた池田先生。
番組の中で現代でもまだまだ女性の平等には程遠いと仰っていました。
そして池田先生はその番組の中で、

「よく、心が自由であれば…と言うけど、それは本当の自由ではないと思う。私が生きる道は私が決める。」

 

と仰っておられて、それを聞いた私は本当に頭をガツンと殴られた気分でした。
さすが太陽射手+月水瓶の池田先生…。(感無量)

私は昔から、心…というか自分の核になるもの以外については結構無頓着で、それさえ穢されなければ後はもうどうでもいいと思っていました。

イメージとしては、自分の心の中が林檎の木の一本生えた園だとします。
その林檎の木をさすがに傷つけられたら、モーレツに怒って園から追い出すんですけど、
今までなら、林檎の木の下に畑を作られても<<めっちゃ嫌だけど>>許してたんですね。
林檎の木(真理)が死ななければ、それ以外の部分は自分の内側であってもどうなってもいいや、みたいな。(魚座の人って結構そういうところあるんじゃないかな~~と思います。)
で、その自論を軸にして生きてきたわけです。なんならそれが誇りぐらいに思ってマシタ。
それがわたしなりの自由だと勘違いしていました。

けれども昨年末に色んな出来事を経て、ようやく…本当にようやく、

勝手に畑を作る人達には空気を読むスペックがないんだな!!

ってことに気付きまして。(薄々気づいていたけどさ)
そんな人間関係のアレコレで疲れ果てていた時期に見た池田先生の番組は衝撃的でした。
「私よ!女性たちよ!人間たちよ!一体何をしてるんだ!」と自分に対して純粋に怒りがこみ上げてきました。
よく考えたら、園の土の下には大事な林檎の木の根っこが生えているわけです。
園を王国にあてはめてもいいかもです。
王様だけ大事にしても、国民や町が大事にされない国は国として機能しないんですよね。
自分の人生、他者との関係において、どうなってもいい、どうなるか分らない…。
自分の大事な園や王国を守れないのは、本当に管理者としてなってない、本当ならば恥ずべき事態なわけです。

自分の園や王国に人を招き入れいるのは構わないと思うんです。
でもそれって、ちゃんと責任を持って、入国審査を出さなきゃいけない。
オープンハートってよく言いますけど、ある意味ではそもそもそんなに心の扉開けっ放しにしておく必要があるのかと思います。
自由と責任は背中合わせだということにようやくね、実感を伴って言えるようになった昨今。
自分の髪の毛1本に至るまで責任をもつことが、自由ということなんじゃないかと思います。

そしたらどう生きようが自由なんだと思います。

まー、なんでこんなこと書いてるんだろうというはなしですが、これ元の記事は昨年末に書いてあったもので、土星が蠍に戻ってきたからか、このタイミングでUPしたくなったのでUPします。

みんなが自分の園を守ることに全力を傾けて生きれたら、実はとっても生きやすい世の中になるんじゃないかとも思います。
自分の園、しっかり管理したいと思います。



ベルサイユのばら(1)
池田理代子
B00FJ1DWJ6

Anna

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