今回、弥彦神社に関する摂社や旧跡地を回りました。
その中でも、弥彦山の日本海側に面している野積の妻戸神社(つまどじんじゃ)は、天香山命の妻である熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)が祀られる神社です。
弥彦大神が野積海岸に上陸し塩造りや漁業、醸造技術を伝えた後、内陸部を開拓するために妃神を残り山を越えました。
生活が定まった後で妃神を呼ぶつもりだったが妃神も一緒に移りたくて後を追いかけました。行き先を口止めされていた木こりが妃神に山越えの道を教えようと口を開けたとたん石になってしまいました。
妃神は自分の欲を詫び追いかけるのをあきらめてここに留まり、弥彦大神の開拓の成就を祈り、また石になった木こりの霊を慰めたといいます。というようなご由緒のある神社です。
ご神体の大岩を「口開け岩」ともいうそうです。
妻戸神社の目下に広がる野積、ここは酒造りが盛んで、野積杜氏は全国に良く知られていますが、この杜氏という言葉、女性の家長を表す「刀自(トジ)」という古語からきているという由来があります。
というのも古来、お酒を醸造したり神にささげるのは女性の仕事だったからだそうですが、
刀自は女性首長を表すコトバである戸辺(トベ)などにも繋がりますし、
この口開けの祭りも、妻戸の女神と巫女たちに機縁しているのかもしれません。
※彌彦山山頂から見た日本海と越後平野↑
Anna
ここひと月という短い間、お隣の新潟県にある弥彦神社に通い詰めていました。笑
「おやひこショック」「おやひこ事変」ww と呼んでもいいかもしれない。
呼び寄せられるように地元会津の仲間達と弥彦通いをしていました。
彌彦神社(やひこじんじゃ)は、新潟県西蒲原郡弥彦村にある、彌彦山をご神体山とした、越後国一宮です。正式には「いやひこじんじゃ」と呼ばれるそうです。
弥彦のご祭神はニギハヤヒの息子で尾張連の祖でもある熊野の天香山命(あまのかごやまのみこと)~またの名を高倉下(タカクラジ)・手栗彦(タグリヒコ)~だと言われており、弥彦山山頂のご神廟に妻である熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)と共に祀られています。
天香山命(高倉下)は神武天皇が東征中、熊野で悪神の毒気により倒れた時に、布都御魂剣(フツノミタマノツルギ)をもたらし覚醒させた、神武東征の功労者です。
※彌彦山遠景、左が国上山、中央が彌彦山、と十宝山、右手に角田山。
(続く)
Anna
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