白井明大さんのお話会。

Posted by Anna(旧:Noa) On 2014年9月13日土曜日 0 コメント


先日、妹と旧・会津本郷町にある樹ノ音工房さんのカフェyuinobaへ行って参りました。

知り合いの娘さんが絵の個展をyuinobaさんでされていると聞き、出かけたのですが、お邪魔してみると、個展だけでなく、何か別なイベントもこれから開催されるところでした。
白井明大さんという詩人の方の、『季節を知らせる花』のお話会というものでした。

失礼ながら白井さんのことよく知らなかったのですが、お茶とスイーツ付きという言葉に誘われ(笑)
また、これも何かのタイミングだろうと、そのままイベントに参加してきました。



しかしながら、お話会が始まり、白井さんが手に取った自著を見てハッとしました。
つい先日、本屋で見かけて気になっていた 『日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―』じゃないですか。
あの本を書かれた方なんだ~と思って、まー、まずびっくり。

日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―
白井 明大 有賀 一広
4809410110

お花のお話ということだったのですが、白井さんがぽつりぽつりとお話する内容が、現状気になっていることなどと、あまりにもシンクロすることが多く。
たまたま立ち寄ったつもりだったけど、これはいわゆるお導きってやつなのでは⁈と姉妹そろって前のめりになりましたww

詩歌の話や暦の話、月の話や土地の持っている雰囲気の話、民俗学にもかかるような話も展開されていてと~~~~っても楽しかった。


咲いている美しい花のただ見たままを、日常のワンシーンを切り取ったような、さりげない歌が好きという白井さん。
とあるお話会にて、『詩は自分の中にあるものをカタチにして外に出すのが詩なのではないか?』とのお客さんからの問いへの、白井さんなりの答えが何気ないことなのに、とても大きな意味がつまっていて感動しました。
以下に思い出せる範囲で書き留めます。

白井さん曰く、時間は過去・現在・未来と単純に縦軸じゃないということ、
周りのものと自分が一体となる瞬間があって、それは時間にすると0.1秒とかそんなものだけど、
その瞬間に色んなことを考えていて、過去・現在・未来がその短い瞬間に行き来している。
それは大げさなものじゃなくて、日常にたくさん起きているこだということ。

周りのものと時の流れに自分が溶けて永劫になった一瞬、自分が自然の受け皿になる。
花が美しいと思ったその瞬間をそのまま切り取るということは、何気ないことに思えて実はとても深みのあることなんじゃないかということ…。


のっけから涙腺ゆるめになってたのに崩壊したよね。

私たちの生活は、最小単位の何かの集まりで、できてるということ。
もっとも細やかな声に耳をかたむけること。
それが時としてとても大切なんじゃないかと、改めて強く思ったのでした。

白井さんの感性やお人柄、とても素朴で繊細で、まるでご自身が道端に咲く野の花のような方でした。
世の中にはこんな感性で生きておられる方がやっぱりいらっしゃるんだなあと思ったら、
ぜんぜん泣く話じゃないのに、どうしても涙がとまらなくて(笑)
たぶん変な子におもわれたことだろう。

アートや言葉にたずさわる人って、ほんとにナチュラルにシャーマンな方が多いね。
でもそれって古代、縄文とか、歴史にも残らないような頃にはふつうにみんながしていたことなんだよねって、そう思います。



明石海人のうたのように生きがちな私ですが・・・(笑)
今はそんな生き方を考え直す0地点、はざまタイムだなあと。
このタイミングにお話聞けて、本当に幸せでした。

それはもういいんじゃない?原始のころの君はどうだったのさ?
花のように生きなよと言われた気がした、満月前夜のお話会。


帰りに本郷町のいにしへを感じる某所と、
そして大川の岸で柔らかい自然のエナジーにふんわりつつまれてきました。

 

 きょうも、この大地とすべてのご縁に感謝。


Anna 

0 コメント:

コメントを投稿