ブログ移行中

Posted by Anna(旧:Noa) On 2016年3月26日土曜日 0 コメント

Bloggerでブログ「銀河のめざめ」を綴ってきましたが、エネルギーが変わってきてBloggerの雰囲気が今の自分に合わなくなってきた気がしてきたので、思い立って、はてなブログに移行しています。

「銀河のめざめ」で綴ったブログ記事、そのまま移行と いうわけではなく、その中から選りすぐり…というわけでもないんですけど(笑)新しいブログにも引っ張ってきたい記事だけ移行させています。そして今の気分で多少加筆修正したり、写真を減らしたりしているので、書いた当時の粗っぽい(笑)エネルギーのまま読みたい方は、「銀河のめざめ」は消さずに置いておきますので、こちらを読んでみてください。

そして、新ブログのタイトル。
「よあけまえ」→「銀河のめざめ」という流れから(短絡的に)「銀河はめざめた(仮)」にしてみました。笑 もっといいのが見つかったらそれに替えるかもしれませんが、スコシズツ、レベルアップ。ということで。

 はてなブログは、文章を書くという作業がbloggerに比べると格段と楽、そしてとっても使いやすいですね。bloggerはデザインに自由度があり、amebloみたいに商業ベースじゃない感じがとても好きだったのですが、写真の表示とか文字の表示の細かいところの微調整にストレスを感じやすかったので、ブログの更新も遅れがちでした。
書くことに特化してるはてなブログなら、もっとたくさん記事書けるかな?(単に自分が筆不精なだけな気もするけど)

新ブログでもどうぞよろしくお願いします。

「銀河はめざめた」
http://annarcanum.hatenablog.com/ 


Anna

2月7日 天地雅楽コンサート in 二本松

Posted by Anna(旧:Noa) On 2016年2月11日木曜日 0 コメント


2月7日、二本松まで天地雅楽さんのコンサートを観に行ってきました。
現役の神職の方が古典楽器を用い、現代風に再構築し奏でる音霊。
2~3年前にYoutubeか何かで坂本龍一さんのロハスコンサートでYMOの東風を一緒に演奏しているのを観たのがキッカケで、天地雅楽さんの活動を知ることとなりました。

和洋問わず古典楽器×電子音とかのクロスオーバー音楽が好物なのもあり、
また、音楽や芸能はある意味で神事の性格を持っていると思うのですが、
それを本当のご神職の方がやられているということにもとても興味を抱きました。

そして最近はナナメ見しかしてないFacebookでたまたま天地雅楽さんが福島県にやってくるという記事を見て、「 ま じ か ! 」
と、すぐさま安達公民館に電話をかけました。笑
二本松にどういうご縁か分かりませんが遠いところまでご足労ありがとうございます。

コンサートの前に六芒星のシンボルをよく目にするなあと思っていましたが、
「笙は天の音、篳篥は地に生きる人々の音、龍笛は天と地を繋げる龍の音。」
と、天地雅楽の久次米さんが仰っていらっしゃるのを聞いて、なるほどと思いました。

六芒星は天と地の結合を意味するシンボル。
また、天と地の結合だけでなく、△は火で男性性、▽は水で女性性、陰陽が結ばれることで、完璧な形になることで、そこから強力な護りというような意味も、六芒星というシンボルの中には込められていると思うのですが、天地雅楽さんの音をコンサートで聞きながら、火と水の術の結合で完結ではなく、そこから何か生まれるのだとしたら、それは、「風」なのだろうと強く感じました。

天地雅楽さんの音は曲名に「風」という言葉がついているものが多いということもあり、そこから私が勝手にイメージしてる部分も多分にあると思うのですが、実際に聞くとやはり「風」の要素をとにかく感じます。
自分の肉体の細胞や、血液や、そしてタマシイのDNAがその風によってぶわああと動かされていくような、震えるような、心地よい高揚感が身体中をかけめぐる独特の感覚に、音を聞きこむ毎に夢中になります。

音というのは、まさに人の心を動かす魔法だよなあ(術でもよし)。

生でお聞きすることができ、私も風のように色んな枠を越えてもっと自由に軽やかに進んでいきたいと、魔法って本来こう使うためにあるんだよなぁと再確認したのでした。
白と黒、陰陽、天地、それらが融合して更にはそれを軽やかに越えてゆくためのもの。
自分がどこの点に居たとしても、いろーんなボーダーを越えて、人の心に風を起こせる人って本当に素敵だと思います。 
単純に音を楽しむだけでなく、そんなことも感じたコンサートでした。


天地雅楽 「疾きこと風の如く」



◇ 




帰りに安達が原の黒塚へ。
鬼婆が住んでいたという岩屋は、お寺の中だったので時間が遅くて拝観できず。(笑)
塀の外からチラ見。 巨石好きにはタマラナイ雰囲気の岩っぽくて、ほんとに観れなかったことを悔やみました。


鬼婆伝説で有名なおどろおどろしい場所に思われがちですが、岩屋と呼ばれる(大きな磐座だと思われる)縄文土器も出ているようで、本来は古代の聖地であったのだろうと思います。

車で5分ほどの近くの、鈴石という小さな磐座にもご挨拶。
岩と自然と感応する良き時間でした。


私はやはり、神社や聖地に来る度に名のある神とか龍以前に、そこに存在している木霊のような、精霊のような、空気や光に溶けて”在る”ようなものに感応しているように思います。それを改めて最近考えております。
突きつめていくと自分の中に息づくアンドロメダとエルフのエナジーがそれらの木霊のようなエナジーと親和性が高く、反応しているんだろうなぁと。
そしてその彼らのささやかな徴に再会し、感応したいがために、様々な場所へ赴いているのだろうと。

土地を巡るごとに、人々や宇宙の楽しいだけではない記憶にも触れることになり、距離を置きたい気分になっていたのですが、純粋に私には今までもこれからも彼らのともすれば消え入りそうな囁きにハートで感じたい、その想いしかないのだなあと。今後もいろんな土地を巡っていきたいという気持ちになっています。

Anna

それを私はもも堕ちと呼ぶ。

Posted by Anna(旧:Noa) On 2016年1月6日水曜日 0 コメント

キスマイのファンになって1年半とちょっと過ぎ、今やどっぷりキスヲタwになっている私です。
こんなにどっぷりはまって初めて知ったのですが、ジャニーズのファンの人たちに「同担拒否」「本気愛」という言葉があり、そう呼ばれる人たちが居らっしゃるということが、実は結構な衝撃でした。
言葉の意味よくわかってないけど、同じメンバーを好きな人とは仲良くなれない、本当の恋人感覚みたいな感じですかね。そこまではいかなくてもそれに近いような人はわりと沢山いらっしゃるように見受けます。
他のグループなどではそういうの珍しい気が…というか単に私が今まで好きだったアーティストが殆ど既婚者、もしくは海外の人だったというのもあるのかもしれませんが。
テレビなどでメンバーと女性芸能人が絡んでたりすると、Twitterめちゃめちゃ荒れる荒れる。
応援の仕方はそれぞれだけど、そういうの疲れちゃうので荒れそうだなと予感した時にはTwitterから避難するようにしてます(笑)

男性アイドルって、アフロディーテ神殿に仕えるヘタイラ(…は女性だけど)もしくは、豊穣のために生贄とされる青年神アドニスなイメージ。
なんか外側で見ていた時は良く分からなかったけど、例えばアイドルの結婚や恋愛は、ファンだけでなく本人にとっても想像以上に大変な問題なんだなあと本当に思います。

で もなんかそういう何万人もの人が同じアイドルを好きなのに、それに嫉妬してしまうような何か独特の空気、私だけ特別!…みたいなエネルギーっていうの?そういう 大きなものが渦巻いている感じは分かるので、うん、なんか飲まれちゃうんだろうなあって。この状態を=もも堕ち(桃色…色情系に堕ちてる)と呼ばせても らっております。(笑)

このあいだtwitterで、キスマイ好きのいわゆるスピリチュアル系の人とひょんなことからお会いすることがあったのですが、メンバーの事とか勝手に霊視っぽいことしてる風な感じで、何がアレという確証もなしに判断するのもどうかと思うのですが、その人の言動や纏っている雰囲気やら何やらがなんだか妄想と現実がごっちゃになってる感じで、もも堕ち…もしくは闇堕ち(笑)を更にこじらせてる感じがして、早々に距離を取らせて頂きました。爆
そんなことがあって、そういえば昔の知り合いに強烈なもも堕ちさんがいたなあと、その人にこの人は似てるわ…と、その思い出がフラッシュバックしまして。
いつか記事にしようと思いつつ書けずにいたのですが、その昔の知り合いについて、今のタイミングで綴ってみる事にします。

私が19~20歳の時、専門学校で同じクラスだったYさんというお友達がいました。
彼女はいわゆる感が鋭い系の人で、卒業してから見えない世界のそういう話で色々と盛り上がっていました。あの頃はドリーン女史のオラクルカードや天使がブームになり始めたころで、私は彼女の影響でオラクルカードの存在などを知ったのでした。

で、彼女は高校時代からずっと虹のフランス語読みのボーカルの人が大好きで。笑
いつからだったか、勝手に彼のリーディングをはじめたりしだしたんです。
しまいには前世で彼と私は恋人だった。とまで言い始めまして…。
で、そのころ、ほんとうに私は阿呆がつくぐらいのピュアガールで、えっ!そうなの?と一瞬信じてしまったんですね。。そしたら彼女がエスカレートしていってしまいまして。

彼の歌声がよく出るように、会場から調整してあげてる。と言った時にはさすがに薄ら寒いものを感じました。
それってありのままの彼の表現してるものを受け入れてないし(この時点で好きなのか?って感じですが)好きな人だったり対象物をコントロールしようとしているところにめちゃめちゃ恐怖を感じました。
それって私のなかの「愛する」「好きになる」「愛でる」という感覚とだいぶ乖離していたので。

そもそも声が出ようが出まいが、それは本人のその時のベストな状態で、それをいじられたり、そうじゃない!と言われるのは表現者としては不愉快なんじゃないかなと思います。
大事なことは彼らが表現しているものに全てつまっていて。
彼ら本人の内情やエネルギーを読むより、彼らが生みだしたものを見つめ続けていたいナとそう思います。好きな相手のすべてを知ってどうするんだろう、と。

またとんだ陰陽師話になっちゃってて自分でも嫌悪感なんですけど、笑。
結局、彼女の見えているもの、彼女のその力は、彼女に憑いてる良くない奴が与えてるものだということがある時、分かったのです。
彼女は元々感が強いとかそういうのもあったのですが、どこにでもチャンネル合わせちゃっていて、良くないものも良いものも分かってなくて、ぜーんぶ拾っちゃってたんですね。
それは何故かというと、「寂しさ」が強い人だから。
それを埋めて欲しい想いが無意識に強いと、それに付け込んで寄ってくる奴もいるんですよ。エネルギーちゅーちゅー吸い取られる代わりに見せたいもの見せてくれるとか、ね。
需要と供給の共依存みたいな。

終いには、私は彼より先に死んでしまうから彼の事を頼みたいとか…、歌詞は私に向けて書いている…みたいなニュアンスのこととか。彼のエネルギーを感じる、毎日夢で逢ってる、部屋に遊びに来ている、隣で寝ている…というようなことを言い出してきまして。

「それがっつり色情系の霊ですがな!!!」(過去記事をご参照ください)

と思った時にぱーん!ってなって(たぶん彼女の後ろの奴の挑発にまんまと乗ってしまったんだと思います)我慢してたものを全部伝えていまいました。案の定彼女とはそれで縁を切ることになってしまいました。

まあ、それでもその時は彼女が見たい世界だったんだから、私は余計な事を言ったのかも…と数年は悩みまして、それこそ私のエゴだなと。私自身ですらどこに繋がってどんなもの見せられてるかなんて良く分からないのにと思うと、悶々としました。なのでたまに受け取るそういった情報をどこか冷めた目で見ている自分もいます。未だに。

しかし本当に何かの媒体に出ている人…、特にアーティストや芸能のお仕事されてる方って基本敏感な人が多いと思うんですけど、なんかいろんな念とか飛び交ってて大変だなあって思います。どうやって対処してるんだろう。笑 多分、並の精神力だったら潰されちゃうよね。(余談です)


なんかめちゃめちゃ話ズレてきちゃった気もするけど、要は何が言いたいのかというと、堕ちたままもそれはそれだけど、自分が好きな対象からもらったキラキラやドキドキを他の場所へ還元していくことに意識を集中させて、そういう足を引っ張るようなエネルギーに惑わされずに創造のループを廻していきたいなあということです。

もうほんと陰陽師の世界、ハリーポッターの世界ですけど。
目に見えない世界でも目に見える世界でも、光と闇の攻防、騙し合い みたいなものはあって、それは個人の中にもあると思うんですが、もうこんな時代にそんな古めかしい話をするのはいかがなものかなあと思いつつも、まだやっ てるんだなあと改めて実感するようなことが続いたので、記事を投下しています。
光と闇の二元性がよくないとかそういうレベルの話じゃなくて、それは毎秒毎秒繰り広げられていることだし、私も光の時もあれば闇の時もある、ただそれだけで。
そんなことに振り回されてるのが本当に心底飽き飽きしたというか。
流されずにどこに自分の意識を保っていくのかというのはとても大事ですね



Anna

2016年もよろしくお願いいたします

Posted by Anna(旧:Noa) On 2016年1月3日日曜日 0 コメント


2015年も大変お世話になりました。
2016年もarcanumをどうぞよろしくお願いします。

写真は年末に訪れた鹿島の写真です。

今年も楽しい一年にしていきますよ。皆さんも素敵な一年を!ヾ(o´∀`o)ノ


Anna

arcanum online shop 冬のセール&新作

Posted by Anna(旧:Noa) On 2015年12月25日金曜日 0 コメント

arcanum オンラインショップで12/25~1/8まで在庫商品をセール価格でお届けしております。

年末年始にかけて新しいアイテムも少しずつ(ほんとのほんとに少しずつで恐縮ですが)アップしてゆきますのでどうぞお楽しみに。






Anna

孤独の責任

Posted by Anna(旧:Noa) On 2015年11月30日月曜日 0 コメント

 2015年もあっというまでしたね~~~っ。
本格的な冬に向け寒さ増すこの頃。皆様いかがお過ごしでしょうか?
残りあと一か月ということで、今年の振り返りなど。

今年初め、1年を象徴するカード…イヤーカードをRicca兄貴にトートタロットで出してもらった時、出てきたのは「Death<死>」というカードでした。


紡いできたものの再構築。いままで使ってきたパターンは通用しない。

等等…。
なるほどなー、と思いつつも「Death」って一体何だろう。
何に対してのDeathであるのかが今年後半までピンときてはなくて。
まあ、ある意味昨年末から今年に入る段階、そして誕生日月の3月にも大きく色々考え直すようなことが起きていたので、それかなと。もうそんなにめったなことはそうそうないだろうし、何かあったとしてもそれの見直しなんだろうとそう思っていました。
ところがどっこい、今年後半の海王星逆行…土星が蠍座まで逆行などの天体の動きに沿いながら、見事なまでに「あ、これがDeathの真意ね。」と悟らせるような、大きな波が来まして、私が死なせてあげなくちゃいけない、古いパターンというのは私の人間関係に対する姿勢だったということに気付いたのです。
私は人づきあいが正直苦手なほうです。というのも境界線皆無の魚座気質であるだけでなく、関わること興味のある対象には火星蠍で深く入り込むがゆえに、仲良くなればなるほど相手の領域に踏み込みすぎて、ハッと気が付いた時には関係を腐らせてしまっていたということがね、どうも幾たびかありまして。
それを30過ぎてまで、近年特に仲良くして頂いた方々にしてしまっていた事に気付く案件がありました。

「豊かさを沢山持っているから、うまく循環させないと腐らせてしまうよね。」

これは兄貴に言われた言葉ですが、私だけへの言葉ではなく、豊かさはだれでも十分に持ってると思うから、これを読んでくださっている沢山の方にもあてはまることだと思うのですが、それの使い方が私は本当にへたくそで、お互いに入り込み過ぎて快も不快もわからないような、ある部分ではトートタロットのCUP7のような関係になっていたと思うのです。
そのくせ自分では「ビシャビシャどろどろの関係とか無理!」とか言ってたので恥ずかしい限りです。
何ごとも腹八分目…。ですね。

そんなわけで、考えすぎかもしれませんが自分が人を振り回すことや、反対に人から振り回されるのもものすごーく嫌になって…、そんな自分への戒めもあり、今年後半はキスマイ関係であちらこちら飛び回っているように見え、実はどんどん内側に籠っている時期でした。
その案件以外のことでも、この人の言動をどう捉えていいのか…というようなことがいくつも重なり、自然と外部からの情報をシャットアウトするようになりました。

って、ここまで書くとただの根暗!なのですが、明るく楽しく生きてはいました。はい。笑

人間関係に抱いていた理想と現実とか、人との付き合い方、ひいては社会とのかかわり方、自分がこの社会で表現していくことみたいなものを改めて深く考える時期だったと思います。そういう意味では意義深い1年だったとは思いますが、やはり今年後半は海王星逆行の煽りかモヤモヤ感は半端なかったですね。柔軟宮(双子座、乙女座、射手座、魚座)の皆さんお元気ですか?笑

まあででも、人は毎日少しずつ死んで、生まれかわるとはうまいこと言ったもので、毎日少しずつ死んでいくことで、自分の中に蓄積されたパターンから脱皮したいナと思っています。人生なんてそれの積み重ねなのかもしれないですね。
失敗したり、やっちまったわ…と思ったらもうあとは黙って粛々と次はしないための行動を積み重ねてゆくのみだなと。「でも、だって」の言い訳が恥ずかしい…というか、もうできないよなぁ…と思うこの頃。大人になるにつれ、言い訳はできなくなるものだなぁと最近強く思います。そういう意味で言ったら、すべて起きることは自分の責任なんだなと。
今までは人付き合いをするうえで、個としての責任みたいなものが足りなかったんだなあと思います。うまい言葉で表現できないのですが。依存しあうのではなく、個として対するというか。

けしてネガティブな意味ではないのですが、「孤独の責任」っていうのが今年の私のテーマでもありましたね。さて来年は本厄。今年はできなかったことがまだまだあるのでフンドシ引き締しめて←、もっともっと楽しく密に生きていこうと思います。



Anna




あの日悪魔に魂を売った時から

Posted by Anna(旧:Noa) On 2015年11月10日火曜日 0 コメント

あの日悪魔に魂を売った時から
あの日天使に魂を売った時から
ぼくはもう何も選ばないだろうと思った
心臓を引きちぎられるようなかなしみはもう充分だから

穏やかな時間のなかで
知らないふりをしてふわふわと、
たくさんの魂とたくさんのステップで踊ったんだ

そして、まわる時空の遥か彼方に消えてしまった諸々の星くずの
その悲しみの果て孤独の果てに
いまぼくはここにいて
どうしようもなく薄汚い自分と
どうしようもなく神聖な自分と
それに連なるすべてを受け止めたいと願っている

それはきっとぼくだけの願いじゃないとそう思っているから

化石にもなれず誰の夢にも顕れる事の出来なかった
純粋な涙を拾い集めてこの突き抜けるような青の高みに還したい
そんな僕の想い、それすらも秤にかけられてしまうなら
ぼくはぼくがよく分からなくなってしまって
この深い海の底でじっとしているほかなくなってしまう

もういい加減にしようじゃないの

これはほんとにただのヒガイシャモウソウだってことは
百も承知

だけれども

あの日
悪魔だけじゃない
かみさまだってぼくたちを利用したじゃないか
何気ない言葉もすべては呪いであり祝いであると昔読んだ小説に書いてあったっけ
それを今更、白いとか黒いとか、綺麗だとか汚いだとか…

<美しい言葉で着飾って、ぼくたちを貶めたのはあなたたちでもあるのに>

思い出せばホラ一瞬で
どこかにしまっておいたはずの、黴臭い青い炎はいつだってぼくの身を焼き尽くす
だけどその激しさを秘めたままで、ぼくはもう何もかもを赦したいと思っている

あなたの罪も
ぼく自身の罪も


それなのに
人の好い顔して
どうしてまたぼくを殺そうとするのですか
これ以上ぼくになにを求めるのですか

あなたは

S極とN極の両端に立って手招きをしながら
どちらにも踏み出せないぼくの
流すこの涙もニセモノだと、また疑うのですか

ぼくは、
最初から最後まで、たった一人のぼくでしかなかったんだから
選ぶことはやめたんだ、と
あと何世紀言い続けたらそれに気づいてくれますか





Anna ( 2015.11月 )

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